新型コロナウイルス

パンデミック条約の目的は自由の制限とワクチン強制だった

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パンデミック条約を推進するWHOの当局の共同議長の話である 「パンミックを乗り切るために、個人の自由を制限する(ロックダウンの強制、ワクチンやマスクの義務化などの)制度を作らなければならない。それを実施する(WHOなどへの)資金確保も必要だ」

世界ではパンデミック条約のような今までとは別次元の法的な強制力が求められている。これからパンデミックが発生するかも知れない。いや、パンデミックは発生するのだが、乗り切るためには個人の自由を制限する(ロックダウンのような)措置を優先し、(ワクチンやマスクを)義務化し、情報、知識、資源を共有することだ。そして最も重要なことは、全てのパンデミック対策に必要な資金を確保することだ。単純に現在は、これらの措置を実行するための手段が存在しない。

※ 遂にWHOから本音が出てきました。DSの指示を受けたWHOがやろうとしていることは、世界中の人たちから自由を奪い、ロックダウンで強制し、ワクチン義務化で選択肢をなくし、国民から富を奪っていくこと。現在進められているマイナンバーの健康保険紐付けは、マイナンバーによって膨大な個人情報が取得でき、銀行口座紐付けが出来た後は、国民強制のツールとして不正利用が行われることはほぼ確実であるからです。

対米追従でLGBT法案を成立させようとしている岸田政権なら、その可能性があるだろうと思います。もし強制されるのがイヤなら申し込まないこと、申し込んだなら解約することをお勧めします。

 

「茶番」がようやく終わった日

5月8日、疎開先のタイ・バンコクから3ヵ月ぶりに日本に帰ってきて仰天した。コロナ対策に関する空気感がガラリと変わっていたからだ。

「疎開」は大袈裟な表現ではなく、もはやマスクとワクチンを強要する“内戦状態”にあった日本にいるのがツラ過ぎて、その両方を強要しない場所に逃げたかったのだ。

それまで専門家たちは散々「5類になってもウイルスの性質は変わらない」と言い続け、政府分科会の尾身茂会長は「まだ普通の病気ではない」と、なんとしてもコロナを終わらせたくない様子だった。しかし、政府は彼らの意見をスルーし、5類化するとの公約を守った。

「ウイルスの性質は変わらない」は確かに正しいのだが、結局、「5類になったから人々の行動指標が変わった」だけであり、さらには「コロナに対する空気感が変わった」「メディアが飽きた」だけなのだ。

政府が「5月8日に感染症法上の2類相当から5類に変更する」と発表したとたん、この変化が起こったのである。そこで本稿では、「一体、この新型コロナウイルス騒動とは何だったのか」について分析してみたい。

Gettyimages

結論としては、断じて「ヤバい感染症が3年4ヵ月の間猛威を振るった」ではなく、「連日浴びる“カンセンタイサク”という名のヤバい非科学的な“教義”の猛威に3年4ヵ月も晒された」だったのである。

その陰で儲かる者が多数出たが、一方で、普通の国民の中には、仕事を失う者もいた。そして、旅行へ行ったり、運動会をしたり、施設に面会に行ったり、イベントで大声で応援したりと、当たり前だったはずの日常を失った。そのうえで、“カンセンタイサク教”の教義を信仰する者と信仰しない者との間で激しい争いが起きた。

そして、5月8日、その教義は「政府による活動停止要請」により急速に力を失い、洗脳から解けた信者たちは、かつての日常に戻ろうとリハビリ期間に入り、いまだ信じる者だけがカルト化した。

悲しいことに、カルト化したマスク警察の残滓的な男連中が、女性や子供など反撃してこない人々を狙い、マスクをするよう恫喝する事件が相次いでいるという。

教義変更の大きなポイントは、マスク着用が任意であることが改めて強調されるほか、各種施設での「新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点からマスクを着用し、アルコール消毒へのご協力をお願いします」というアナウンス・貼り紙がなくなったことだ。

JR東海のCMでも、従業員を含めマスクを外した笑顔の人々が登場するようになったし、マスクをしない客を追いかけまわした某百貨店も、シレッとマスク着用の貼り紙と門番を撤去するなど、企業活動もガラリと変わった。

また、これまで、マスクをしない者は、マスクの効果を絶対視する人々から「イヤならその施設へ行くな」「店が決めたルールに従え」「施設管理権があるからガタガタ言うな!」と批判されてきたわけだが、彼らは今度は「マスクをする自由がある!」と絶叫し始めた。

あなた方が3年以上も主張してきた言葉をそのままお返ししたい。施設が決めたルールには従え!

とにかく、この3年4ヵ月、「新型コロナウイルスの専門家」なんてものは世の中に一人もいなかったはずなのに、「感染症の専門家」が「新型コロナウイルスの専門家」としてまつりあげられ、彼らの提言に、ほぼ全国民が従わされたのである。

国ぐるみの「壮大なる管理実験」

この新型コロナウイルス騒動が一体何だったのかといえば、つまるところ、国ぐるみの「壮大なる管理実験」だった。それは、政府が行動指標と方針を決め、メディアが騒ぐことに飽きたら終わるものだった。要するに「茶番」である。

ツイッターユーザー「かすてら」氏はこう書いた。

〈 一回目の緊急事態宣言の時、仕事で乗客が自分だけの総武線と山手線で電車通勤し続けた頃より、今の方が亡くなる人も、陽性者も多い…でも正常化した馬鹿馬鹿しさ、鬼畜米英!と言ってた連中が一夜にしてギブミーチョコレート!となった時と同じ気持ちだろう。〉

2021年・茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園で行われる予定だった『ロック・イン・ジャパンフェスティバル2021』は、茨城県医師会の要請により中止に。翌年から千葉市蘇我スポーツ公園で開催されるようになった。すると、2022年から茨城県では、茨城放送が主催する「Lucky Fes」が開始された。

これには医師会も反発しない。なぜ2021年はダメで2022年はいいのか? まったく整合性が取れない。なにしろ2021年よりも2022年の方が陽性者数は多かったのだから。厚労省のまとめをベースとした下のグラフを見れば一目瞭然である。

NHK「新型コロナと感染症・医療情報」ウェブサイトより

さて、本当に奇妙だったのが上記グラフを見ても分かるように、2020年、2021年の被害は少なかった。それでも緊急事態宣言とまん延防止等重点措置は頻繁に発出された。2022年2月以降は両方とも出されていない。

その時信者は「緊急事態宣言かマンボウを発出しないから増えたのだ!」と絶叫した。だが、出さないでも収束していくことについては「マスクをしてワクチンを打ったからだ! 2つともやらなければもっと酷い状況になった!」と来る。信じるものにとって「人流抑制」「自粛」「会食禁止」「マスク」「ワクチン」というものは、否定されたくないものなのだ。

第8波では陽性者が多かったが、ピークを越えてなだらかに陽性者数が下がった2023年1月24日(※8万1585人。ちなみに5月8日は9310人)、政府が一つの発表をする。1月27日に、新型コロナが5月8日以降、5類となることを発表すると明言したのだ。なんと101日後の話である。

つまり政府は、コロナ騒動が茶番であるということ、政治案件であったこと、利権を調整する時間が必要だったことを分かっていたのだろう。

また、日本政府がもっとも配慮したかもしれないのが、「さすがに101日の移行期間があれば、恐怖におののく洗脳民も洗脳が解けるのでは……」という点である。

ちなみに、イギリスのジョンソン首相(当時)は2022年1月19日、8日後である27日から「プランB」(マスク義務や陰性証明提示)の撤回を発表し、実施した。日本人はイギリス人よりもかくも臆病だったのである。

カレンダーに忖度してくれる奇妙なウイルス

そしてここから茶番性は迷走度合を深めていき、2月6日には、3月13日に「マスクは任意」となることを政府が発表。3月17日、文科省は、4月1日からは学校でもマスクが不要になることを発表した。これらの日程に科学的な根拠はない。

3月13日については「施行まで1ヵ月以上あり、かつ月曜日」程度の根拠を持った日程で、4月1日は「新年度開始」「春休み明けで教師も心の準備ができるだろう」ということだ。思えば緊急事態宣言やマンボウも毎度、「今から出します」ではなく、数日間の猶予を明かしたうえで、発出された。

全然緊急じゃないじゃないか! まさに、カレンダーに忖度してくれる奇妙なウイルスだったのである。

Gettyimages

メディアはというと、3月13日や4月1日に「マスクを外さない人・外す人」の割合調査をしたり、AIカメラで着用者の割合を調べたり、マスクをしている人を探して、外さない理由を聞くなどした。

3月13日以降も外さなかった主な理由は、「恥ずかしい」「手抜きメイクに慣れた」「ヒゲをそらないでいい」「周りが外さないから着ける。外したら外す」「周りの目が気になるから着ける」であり、もはや感染対策でもなんでもない。

この頃は「花粉症が今年は苦しいんだよ!」とツイッターで逆ギレする人もいたが、環境省によると花粉症の有病者は2019年で42.5%(環境省「花粉症環境保健マニュアル2022」参照)。だが、花粉の飛散が終わっても42.5%以上がマスクをしている。

結局、3年4ヵ月もの間、自分が信じてきた教義を否定したくないだけか、上記のように感染対策とは全く違う理由でマスクを手放したくなかっただけなのである。

5月8日、福岡空港から地元・唐津に戻った時の感想は冒頭に書いた通り「空気感がガラリと変わっていた」だが、5月15日から23日まで東京へ行き、さらに驚いた。新宿・渋谷・六本木といった「ウェーイ!」な街でのマスク着用率は60~70%程度まで減っていたのである。

そして深夜の電車では目の前に座る8人全員がマスクをしていないなんてこともあった。こちら側も6人が着けていない。となると「花粉症説」も途端に胡散臭くなってくるし、これだけ多くの人が外すということは、次のようなことを意味するのではないか。

【1】かなりの割合は本当はマスクを外したがっていた
【2】かなりの割合は忖度ないしは勤務先や利用施設の事実上の強制により着けていた
【3】他人が外せば自分も外す、と考えている人がかなりの割合でいた

後編【「コロナ5類移行」で目を覚ました日本人はマスクを捨てた…3年4ヵ月、全国民を洗脳し続けた「専門家」とはいったい何だったのか?】では引き続き、矛盾だらけだった“カンセンタイサク”を振り返り総括する。

You
 
これはイタリアで放映されている映画”invisibili”の抜粋だ。 イタリアでは、ワクチンによって家族を失った人々が抗議活動を行っているが、無視され続けている。 ワクチン犠牲者の「私の話を聞いてください委員会」の制作映画は、ワクチンを強制された健康で気の毒な人々の試練の実情を描いている。 多くのワクチン犠牲者の証言が次々と登場する。
 
非常に沢山のワクチンの犠牲者たちが、孤独と見捨てられた地獄のスパイラルの中で、ワクチン接種キャンペーンが始まって以来、診断も受けられず、どこに相談すればよいかも分からず、地獄の苦しみに耐えてきた。 犠牲者の声 「灼熱感、関節痛、感覚異常、体の半分が麻痺した」 ファイザーのワクチの接種を強制されたロベルトさんは、滲出性心膜炎を患い、座って寝なければならなくなり、買い物袋を運ぶだけでも息苦しくなる。
 
「まだ26才なのに90才の体になった。」 ロベルトさんは、ワクチンで苦しむ人々の声を集める活動家の一人となった。医師は無関心で、常にワクチンの被害の診断を下すことに消極的である。 クリスチャンさんは、ワクチンの後遺症で車の運転ができなくなった。記憶喪失に苦しみ、声を取り戻すために言語聴覚士の所に行かなければならない。
 
「ワクチン接種後、字を書くことができず、文字が理解できなくなった」 診断により、コロナワクチンの副作用で脳神経の欠損が生じた可能性があることが判明した。顔面も麻痺し、弁護士とワクチンによる薬害を訴える手続を行っている。 ヴァレンティーナさんは、読むことも、動くことも難しくなった。25才でワクチンを接種する前はボディービルをしていた。
 
「私はとても健康で、とても強かったが、ワクチンのせいで麻痺してしまい、歩くことも話すことも困難になった。体が反応しない」 働き盛りの若者たちが、ワクチン接種により、突然老人の体になり、話を聞いてもらえず、世話もしてもらえず、尊厳を奪われた。彼らは、裏切られたと感じている。 国家を信頼してワクチンを接種したのに、嘲笑と深い屈辱にさらされ、ワクチン信仰を裏切った卑劣者だと言われた。
 
被害者たちは、抗不安薬を飲み、莫大な医療費の支払いに悩まされ、貧困に陥った。 国家は、この犠牲者の話を見たり聞いたりしない。それは、許しがたい間違いを犯したことを認めるのと同じことになるからである。 健康だった人を病気にする。医学に対するアンチテーゼ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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