新型コロナウイルス

接種後何日目に死亡したか

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2022.4.8 【ウクライナ】ブチャについてPart2【及川幸久−BREAKING−】

見事に騙されている保守派言論人はアホばかりなのか。ウクライナに攻め込んで虐殺を働いているロシアは許せない!と強硬な発言が続く。日本で流されている情報の大部分は米国発である事に注意が必要。真相はどこにあるのか。

オミクロンでパンデミック終了か、海外では感染者数が1カ月で頭打ち 専門家「次の変異株を経て『5番目のかぜ』になる可能性も」

新型コロナウイルスの変異株、オミクロン株がコロナ禍に終止符を打つのか。強い感染力で世界中に急拡大しているが、南アフリカでは、入院期間や重症化率の低さからパンデミック(世界的大流行)が収束する可能性を示唆する報告も出た。米国などで1カ月程度で頭打ちになったとの分析もある。専門家は、国内も、夏にも収束する可能性を指摘する。

南アのスティーヴ・ビコ学術病院の研究者らが国際感染症学会誌に報告した研究では、昨年11月中旬以降に入院した466人の感染者と、それ以前に入院した3976人の患者を比較したところ、以前には21・3%だった死亡率がオミクロン急増時には4・5%だったとした。入院期間もオミクロン株感染者は平均4日後に退院したが、他の変異株感染者は8・8日を要したことから半減したという。

このパターンが世界的にも繰り返されれば、現状のパンデミックから「『エンデミック(特定地域で繰り返し発生する感染状況)』の時期に入る前兆になるかもしれない」と指摘している。

 

ワクチン接種してから死亡に至るまでの日数です。接種後1日から2日までの死亡者数が最も多く、その後は減少傾向。厚労省は接種後死亡が偶発的事象であると言いますが、そうであるなら、グラフは平坦な推移となるはずです。ここにワクチンと死亡の因果関係が表れていると考えられます。

接種後にどういう人が死亡し、どういう人が問題を起こさずにいるのか。腎臓、心臓病、高血圧、糖尿などの基礎疾患やこれらの疾病をコントロールできていない人にリスクがある等、現時点では明らかになっていませんが、いずれ解明されていくものと思います。

ワクチン接種後の副反応に苦しむ人に朗報、愛知県が医療費用の半額を補助!【大石が深掘り解説】 (22/04/08 21:58)

ワクチン副反応件数:国の救済制度による認定はハードルが高い。申請件数は1,198件、うち承認された人は650件(96%は急性アレルギー反応)、愛知県が独自の副反応見舞金として、医療費の自己負担額の半額を支給することになりました。 その背景には、国の救済制度のハードルの高さがありました。 一方で当事者に聞いてみると、愛知県の制度に課題もあるようです。それは一体?

ワクチン接種後に異変。毎日点滴が必要…身体中に発疹も。京都大学名誉教授の医師は「徹底的に原因を調べるべき」「“評価不能”は不誠実」と指摘。【大石が聞く】

昨年5月末から7月にかけて接種後の死亡者数をグラフにしたもの。2日後に目立って増えている。因果関係が無いと証明されない以上、徹底的な調査が必要だ。

私も当然、良かれと思って打ったので、まさか自分がこうなるとは正直思ってなかったですね。

ちょっと良くなると、このままずっと良くなるのかなって期待はするんですけど、治りたいです。

【ゲスト:ジェーニャ/井上正康】及川幸久The Wisdom LIVE Channel#35

mRNA開発のきっかけはオウム真理教地下鉄サリン事件であった。オウムが炭疽菌のテロを企画していたことと、911テロ事件の直前に炭疽菌を郵送していたことから、ペンタゴンがワクチンを軍事物資として開発することが決まった。そのためにはウイルスの感染力を制御したり、ウイルス研究とワクチン開発は常にセットで行われ、当初米国で研究開発が行われていた。そのリサーチヘッドがCDCのファウチだった。

米国内で研究するのは危険であるため、リサーチユニットをまるまる武漢へ移した。その後武漢でどのような研究がされていたかは分りません。武漢で漏れたのは2,019年の秋だが、大騒ぎにならなかったのは弱毒のタイプだったから。それが上海で突然変異したのが164G。これが欧州やアメリカへ飛び火して、一気にパンデミックとなった。

コロナウイルスが世界中でパンデミックになっているのは、分子時計で2週間に1回の頻度でランダムに突然変異を起こす性質を持っている。コウモリの身体の中では安定しているが、宿主を代えているので、免疫と戦いますので、ドンドン突然変異をしていきます。いま、世界中では万を超える変異株があります。その中でアルファ、ベータ、デルタと名前がついているものは、旧株より感染力が強くなったものが上書きして感染の波を作っている。

2,020年3月、屋形船の死者が出た頃には(感染者が)EUに比べると100分の1だと。調べてみると、武漢が封鎖された時に数百万人が逃げ出して中国全土に広がっているんですね。20年の2月春節で何百万人も日本へ来て、あの頃を振り返ってみると、ちょっと喉がおかしいとか、微熱があるとか、あのときに気がつかず無症候性感染という形で2種類をもらっていたんですね。

ちょうど生ワクチンを中国人からもらったような状態が3月の頭までだったと。自然感染の状態。実はその時に、日本人は集団免疫を獲得していたんです。これが3月の頭の状況。安部さんがチャーター便で世界中から日本人を連れ帰って、成田から返ってきた方が持ち込んだのがG型の強毒株だった。3月の頭にはちょうど2回弱毒で無症候性感染していますので、免疫の軍事訓練をやった直後なので最強の免疫集団だった。これによってほとんど死者が出なかった。

コロナの死者は盛に盛って1万数千人となっていますが、おそらく1,000人+数百人がコロナの実数だと。

 

 

 

 

 

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