昨年5月から、新型コロナワクチンについて書き始め、240本を超えました。この間、会う人、会う人に、何故接種するのかと問いただしましたが、返ってくるのは接種券が来たから、とか皆打っているから、無料だから、というものでした。何が入っているのか分らないものをどうして打つのでしょうか。多勢に無勢とはこのことで、ワクチン接種に反対する者はごく一握りしかなく、圧倒的多数はワクチンを何の疑いもなく信じてしまっています。
TV、新聞でウイルスの恐怖が煽られ、この頃は国民が恐怖のどん底にあったと思います。片方でウイルスの恐怖を煽り、政府はファイザーを買い付けて接種を受けられる態勢を作り上げていきます。これから高齢者と医療従事者から優先的に接種出来ます。予約電話がつながらないと言って騒ぎになっていました。そしてアッという間に接種が繰り返されて、今、気がつけば、人口あたり8割が接種することになりました。
目の前で起こっていることが信じられませんでした。臨床試験も終わってない、mRNAには毒性がある、当初海外の研究者から警告が送られています。いま、それが現実のものになっているのです。血栓症によって重症化する、ADE:抗体依存性感染増強が起こる、免疫が抑制されることによってあらゆる感染症に罹りやすくなる、後天性免疫不全症候群、・・・。
国民の8割が接種している現状では、死亡、後遺症が夥しい数になる。厚労省が発表する数字は最小値であり、実数はこの20倍程度だと思います。
ワクチン推進派は接種後死亡との因果関係を認めません。時間的関連性があるからといって、それは因果関係には結びつかないと言います。さらに最悪なのは、接種後に死亡した人たちはごくわずかな数であり、事故に遭う確率よりも低いと言ってのけました。いくら低いと言っても、新たにこれだけの人たちを死なせているのです。事故よりも低いのではなくて、事故プラス、新たに死なせているのです。それは接種しなければ、今日まで生きていたはずの人たちです。
私は接種後の後遺症を負った人たちの体験を紹介しました。皆さんは職場や周囲の圧力によって打つしかなかった人たちであり、自ら進んで接種に臨んだのではありません。朝身体が硬直して亡くなっている夫を見て、夜の間一緒にいてあげれば良かった。両親や祖父が接種して死亡したのに止められなかった。なんとも悔やまれる、胸が張り裂けるような悲しみの数々、高齢者ばかりではなく20代も心筋炎で犠牲となりました。
血栓の毒性は大変恐ろしいもので、全身を回り微細な血栓を形成していきます。ワクチンの作用は身体中に血栓を作ってしまうことです。
後遺症を負って身体が動かなくなった皆さんへ。まずは、それでも生きていて良かった、と言います。毎日元気で働いていたのに、接種を境に社会的生活が出来なくなり、具合の悪さに打ちのめされる日々、自分に起こっていることが信じられない、このままずっと回復しなかったらどうすれば、治らないなら生きていたくない、大変苦しい状況です。自ら命を断った人もいました。
医療にかかってもワクチン後遺症を知らない医者に否定されて、国にも因果関係を認めてもらえない、おまけにズル休みだとか、サボっている、お金欲しさに騒いでいる、など何とも心ない言葉を浴びせてきます。このようなことを言われたら、自分は生きていく価値がないとまで思い込んでしまいます。悲しさのあまり叫びたくなりますね。でもそうする力は出てこない。
自分の身体を傷付けたり、自らの命を絶つことは絶対にやめて下さい。
私はこういうことを言うのは、恐らく初めてだと思います。人はそれぞれ役割を持って生まれ、寿命は最初から決まっています。それまではあなたの役割を受け持って生きていくのです。役割とは何でしょうか。人間として生を受ける時に決めてきています。どういう親と家庭で、障害を持って生まれるかどうか、暮らし向きはどうか、そして自分の課題は何かです。人それぞれ役割と課題は違います。
ワクチン接種で後遺症を負ったあなたには、はっきりとした課題があると思います。後遺症を負っても生き抜いて、やがてそれを克服する日が来ることを。
私の経験してきたことも、後遺症の皆さんと共通する部分があるかも知れません。メニエール、強度のめまい、内リンパ水腫、睡眠時無呼吸、顎関節症、これらの症状で社会生活を奪われました。何年もかかりましたが、やがてそこから抜け出す方法が見えてきました。さらに今度は播種性血管内凝固:DIC(血栓症と似ています)で死ぬ一歩手前まで行きましたが、食事を全面的に見直すことで無事に過ごすことが出来ています。自分の役割はこれなんですね。
長々と書いてしまいましたが、まだまだ続けていきますので、よろしくお願いします。
私たち日本人はどう生きていくべきかについて、極めて示唆に富んだ馬淵先生のお話を聞いてください。
【馬渕睦夫】日本の将来を悲観し苦しんでいませんか? 希望を捨ててはいけません。馬渕先生のこの話を聞いて行動する準備をしてください。
1968年(昭和43年)に外務省入省。 研修先であったイギリスのケンブリッジ大学経済学部に入学し、 1971年(昭和46年)に卒業 外務本省では、国際連合局社会協力課長(1984年-1986年)、 大臣官房文化交流部文化第一課長、東京都外務長(1995年-1997年) などを歴任 在外では、在英国日本国大使館、在インド日本国大使館、 在ソビエト連邦日本国大使館、在ニューヨーク日本国 総領事館に勤務し、EC代表部参事官(1989年-1991年) 在イスラエル日本大使館公使(1991年-1995年) 在タイ日本大使館特命全権公使(1997年-2000年)を務めた 2000年(平成13年)に特命全権大使キューバ国駐箚に就任 2003年(平成15年)5月には財団法人国際開発高等教育機構 専務理事に就任し、2005年(平成17年)より駐ウクライナ 兼モルドバ大使を3年間務め、2008年(平成20年)11月、 外務省退官。同月防衛大学校教授に就任し、2011年 (平成23年)3月、定年退職。