新型コロナウイルス

荒川央氏:HIVとリュック・モンタニエ博士

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ニコラス・ハルシャー、MPH
 
@NicHulscher
 
 
81,000人以上の医師、科学者、関心のある市民、240人の選出された役人、17の専門機関、超過死亡、陰性有効性、DNA汚染は、COVID-19「ワクチン」を市場から直ちに排除することを求めています。これを怠ると、大量過失殺人となります。

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

HIVとリュック・モンタニエ博士

1991年 京都大学理学部卒業 1996年 京都大学理学博士 (分子生物学、免疫学) バーゼル免疫学研究所 (バーゼル)、ハインリッヒ・ペッテ研究所 (ハンブルク)、ヘルムホルツ研究所 (ミュンヘン)、マックスプランク研究所 (ミュンヘン) を経て分子腫瘍学研究所 (ミラノ)所属
 

コロナ騒動の最初期からmRNAコロナワクチンに反対していた事でも著名なリュック・モンタニエ博士の本来の最も知られた業績とは、ヒト免疫不全ウイルス (HIV, human immunodeficiency virus) を発見した事でしょう。HIVがヘルパーT細胞に感染する事により免疫不全を引き起こす疾患が後天性免疫不全症候群 (Acquired immune deficiency syndrome, AIDS (エイズ)) です。

1982年にモンタニエ博士らは、後にHIVとして知られる新たなレトロウイルスをエイズ患者のリンパ節から単離し「リンパ節関連ウイルス (LAV, lymphadenopathy-associated virus)」と名付けました。またその同時期にはアメリカのロバート・ギャロ博士率いるチームも同様の研究成果を発表しています。モンタニエ博士とギャロ博士のグループの競争は大変に熾烈なものであった事が知られていますが、今日では「2人の科学者の功績は同等で、初めてHIVを単離したのはモンタニエのチームであり、このウイルスがエイズを引き起こす原因であると解明したのはギャロのチームである。」と結論づけられています。

画像はモンタニエ博士らのHIVを発見した研究者のグループです。
https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/2008/montagnier/biographical/

さて、それから約26年後の2008年のノーベル生理学・医学賞には3人の受賞者が選ばれたのですが、その人選とはある意味奇妙なものでした。3人のうち2人はモンタニエと彼の共同研究者フランソワーズ・バレ=シヌシで、その受賞理由は前述の「HIVの発見」に対してであり、これは順当と言って良いでしょう。しかしながら当時自分を含め多くの科学者が強い違和感を持ったのですが、もう1人の受賞対象とはそこに出し抜けに割り込んできた「ヒトパピローマウイルス (HPV, human papillomavirus)」に対してであり、子宮頸がんの原因となり得るHPVを発見したハラルド・ツア・ハウゼンでした。モンタニエはその際、本来は3人の受賞者のうちの1人に入るべきであろうギャロが外された件について「とても驚いた」と述べ、「HIVがエイズの原因である事を証明するのは重要であり、ギャロはそれに対して非常に重要な役割を担っていた。受賞しなかった彼には大変申し訳ない。」とも話されています。さらにはその年のノーベル賞委員会のメンバーであるボ・エンジェリンが、HPVワクチンに関する特許権使用料を得ている企業であるアストラゼネカ社の役員を務めていた事実が明らかになったため、ハウゼン博士への唐突なノーベル賞授与に対してはその公平さに関して論争の的となりました。つまり、その年のノーベル賞の決定プロセスにはHPVワクチン製薬利権からの関与の強い疑いがあったという事です。

そもそもHPVが子宮頸がんの原因となるという仮説はハウゼン博士が1976年に提唱したものであり、彼は1983〜4年に、子宮頸がんを起こす2種類のパピローマウイルス(HPV16とHPV18)を共同研究者ともに同定しました。そしてこれがその後2006年に始まった子宮頸がんワクチン (今ではHPVワクチンと呼ばれています) につながっています。事実上、このハウゼン博士の2008年のノーベル賞受賞は子宮頸がんワクチン推進への強力な権威付けとなりました。

話はコロナワクチンに戻りますが、コロナ騒動におけるコロナワクチンの一般への運用を切っ掛けとしてmRNA製剤が目下急速に拡大しようとする中、2023年のノーベル生理学・医学賞とはまさに「核酸塩基修飾に関する発見により、COVID-19に対する有効なmRNAワクチン開発を可能にした貢献」の名目によりカリコ博士に授与されました。歴史は繰り返します。科学の世界の「最高権威」も製薬利権と決して無関係ではありません。

いずれにせよモンタニエ博士がノーベル賞を受賞したのは、彼がHIVを単離した業績が知られてから実に26年が経過してからの事でした。このように、本来は研究の功績が広く認められてからオリジナルの発見や発明をした研究者を探し出して授与するものがノーベル賞だったはずです。また有名な例として1949年のノーベル生理学・医学賞の受賞対象となったロボトミー手術は、当初は大変優れた技術としてもてはやされましたが、実際にはその代償として手術を受けた人間の人格や人間らしい感情を失わせるという、まさに人道に反する深刻な副作用がある事が後に判明しました。このように、新しい技術に対して短期的な結果のみで評価するという事には本来非常に大きなリスクが伴うのです。それどころか時間を経て評価が真逆に反転する研究すらも少なくありません。さて、コロナ騒動において救世主的役割を担ったとするコロナワクチンの実用化を理由の一つとしたmRNAワクチン技術に対するカリコ博士への即時のノーベル賞授与とは、果たして真に科学的にフェアなプロセスを経たものであったのか? そしてその技術とは本来の売り文句通りに実際に数百万人の命を救ったものだったのか? あるいは結果的にそれ以上に人命を奪うものなのか? に関してはこれから時間をかけて検証されていく事でしょう。

ところで、私が新型コロナ変異株の進化を解析していた際に気がついたのは、突然変異のパターンが奇妙であるのは決してオミクロン変異株に限ったものではないという事でした。

新型コロナウイルスのアルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、ラムダ、ミュー、オミクロンの全ての変異株においてdN/dS比が非常に不自然であり、自然発生の確率が極めて低いのです。さらには季節性の風邪の原因となるコロナウイルスのdN/dS比も改めて不自然なのです。コロナウイルスの中でもdN/dS比が高いものもあれば低いものもあり、dN/dS比はウイルスによってまちまちでした。こうした解析結果を踏まえ、私は機能獲得実験による人工ウイルス説とは何も最近始まったものではなく、相当根深い問題なのではないかと今は考えています。そして、解析を通してコロナウイルス以外で特に奇妙に感じたウイルスとは他でもないHIVでした。RNAゲノムを持つウイルスの中ではHIVはdN/dS比が比較的高いのです。HIVは逆転写の仕組みを持つレトロウイルスですが、そのdN/dS比の高さが本当にウイルスの仕組みによるものか今となっては疑問に思います。

実はそもそもHIV (human immunodeficiency virus) も自然発生したものかどうかに関しては古くから疑問を持たれていました。ウィリアム・ドナルド・ハミルトン博士はHIVのポリオワクチン起源説を確かめるためにコンゴで実地調査を行っていた2000年2月にマラリアに罹り、6週間の闘病の後に死去しました。ハミルトンはダーウィン以来の難問であった生物の利他的行動を進化の観点から説明する道を拓いた進化生物学者です。有性生殖や老化の進化的意義を研究し、晩年には紅葉の進化のハンディキャップ説を提唱した事でも知られており、進化生物学だけでなく生物学分野全般に大きな影響を与えました。そして、奇しくもそのハミルトンの最期にもHIVの起源が間接的に関わっているのです。

当時モンタニエ博士とノーベル賞を同時受賞したのは、なぜHIVに対する画期的な研究を競い、同等の成果を果たしたギャロ博士ではなかったのか。そして事実上「ヒトパピローマウイルス」のノーベル賞受賞後、ノーベル賞という権威に裏付けされたHPVワクチンが世界的な一大ワクチンビジネスとなり、今現在も続いています。モンタニエ博士は多くの人々に惜しまれながらもコロナ騒動真っ只中の2022年2月に亡くなられました。そして死後約1年が経過した後、博士の一つの論文がようやく査読を通り発表されました。それはコロナワクチン接種後の加速型クロイツフェルト・ヤコブ病の研究でした。

繰り返しますが、モンタニエ博士はコロナワクチンの危険性、そして新型コロナの人工ウイルス説についても早い時期から科学的な立場からの警鐘を鳴らして来られました。にも関わらず、こうした博士の主張は「デマ」、「プロパガンダ」、「陰謀論」などと揶揄され、晩年の博士に対する誹謗中傷はそれはひどいものでした。しかし今や博士の主張の多くが正しかった事が判明しつつあります。

モンタニエ博士は様々な経緯を経て、我々には知り得ない事情を知っていたのではないでしょうか。そしてその上で、最後まで自分自身の世間的な評判を犠牲にしてまでも人道的に人々の力になろうと尽力されたのではないかと、博士の晩年の言動を振り返るたびに私は考えてしまうのです。

 

 

 

 

 

 

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