これから登場するであろうレプリコンワクチンによって、未接種者であっても接種者から息、汗、唾液を介してエクソソームに包まれたスパイクタンパクが伝播する可能性が指摘されています。細胞に入ったスパイクは自己増殖するということです。そうなれば輸血によってワクチン成分を取り込んでしまうことと同じで、打ってなくても接種者と同じ条件に置かれてしまうことになります。現在はまだレプリコンワクチンの接種は行われていませんが、未接種の皆さんはくれぐれも注意して、今後の情報に注意して下さい。
池澤孝夫
「反ワク」は差別用語である
「反ワク」という言葉が,今年大変流行してしまいました。この下品な言葉は,ネットの一部でいわば隠語として使用されているのであれば,まだ黙認できますが,今や,マスコミ,政治家,行政まで,堂々と使用するようになり,深く心を痛めています。
「反ワク」という言葉は,ワクチンに疑問を持つ人たちをグループ化して,その言動を一方的に否定しようとする姿勢を示しています。ワクチンに対する意見は,本来多様でしかるべきなのに,異論を許さず,疑問をもったり,批判する人すべてに,「反ワク」というレッテルを貼るのは,重大な人権侵害です。したがって、「反ワク」は完全な差別用語です。もちろん,略称ではない,「反ワクチン」や「反ワクチン派」も同じです。
「反ワク」という言葉には,もともともワクチン接種という行為に懐疑的な人々が,強硬な反対運動を繰り広げてきたという背景があるようですが,それなら,戦争や環境破壊に反対する人々と同じで,思想信条,表現の自由を守らなければなりません。ワクチンに対して,どのような懸念を表明することも,国民の基本的な人権として,認められているはずです。
「反ワク」を反社会的な勢力のように扱う風潮の根拠に,「反ワク」がデマを流すということにあるようですが,もし「デマ」が問題であるのなら,個別の「デマ」に対処すればよいだけであって,ワクチンに反対する人々を対象にすべきではありません。しかも、そもそも「デマ」と「真実」の境目は極めて曖昧ですから,「デマ」と言い切れないものを「デマ」と決めつけることは名誉棄損でもあります。
そして,最も重大で,悲しむべきことは,ワクチンのリスクに敏感で,懐疑的な人をすべて,「反ワク」というカテゴリーでくくって,社会から差別しようとすることです。ワクチンパスポートがその典型で,これが人権問題と思わない人は,人権感覚が麻痺しているとしか言いようがありません。
ワクチンの問題が縁で,日本全国の多くの方々とSNSやオンラインで交流する機会が増えてきましたが,皆さん,あたり前ですが、本当に普通の方ばかりで,日々の暮らしの中で真剣にワクチンについて心配されています。このような人々が,何か言えば「反ワク」と思われないだろうかと懸念されることは極めて理不尽です。
しかも,最近は「打ちたくても打てない人」という,人権を守るふりをして実は人権を侵害する卑怯なフレーズまで登場しています。「打ちたくても打てない人」ということは,「打たない人」を,「打ちたくない人」と「打てない人」に分断しようとする非常に悪質な考えです。
なぜ,悪質かと言えば,ワクチンを打つという,個人の判断の領域に介入して,その考え方で人間を区別しようとしているからです。どうして、個人の判断に介入する権利があるのでしょうか。個人の判断は何人も侵すことのできない神聖なものでなければ、人間社会は成立しません。
自分の思ったことをそのまま表現すること,疑問に思ったら素直に伝えること,このような自由がなくなれば全体主義社会になってしまいます。もちろん,法律上はこのような権利は完全に認められています。したがって,社会的な圧力が,発言しないように作用することは,あってはならないことです。
「反ワク」は差別用語です。この意識を広めましょう。