コロナ重症者・入院者とコロナ死亡者は大げさにして、実際より多く見せなくてはならなかった一方で、コロナワクチンによる後遺症と死者は無視して、限りなく最小に見せる手法なのでしょう。これに騙された人もいたのかも知れません。都道府県のデータを見に行った担当者は、更新されていないことを知っていたはずだからです。こうなると厚労省から出てきたデータは本当なのかどうか分からなくなりますね。
完全に国民の健康がどうなろうと一向に構わない、という政府組織の傲慢な姿勢が見えてきます。我々日本国民は様々なデータによってワクチンは有効であると騙されてきたし、ワクチン接種による健康被害は無きに等しいと思わされてきました。恣意的に集積されたデータを信じられますか。
コロナ入院患者、厚労省が過大集計…更新やめた都道府県の過去の人数を反映
厚生労働省は6日、新型コロナウイルスの情報をまとめた同省のサイトで、「入院治療等を要する者」の人数が実態より大幅に多くなっていたとして、トップページから削除した。 【グラフ】日本の社会はコロナにうまく対応できているか
厚労省によると、病院や自宅などで療養している人数で、毎日、各都道府県のホームページをもとに集計している。一部の都道府県は昨年9月以降、順次更新をやめたが、厚労省のサイトは都道府県が最後に掲載した人数が反映されていた。現在は当時より感染が落ち着いているため、人数が過大になっていたという。
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厚労省の発表を受け、「新型コロナウイルスの感染者」の一覧表にあった「入院・療養中」の人数の掲載は7日朝刊からとりやめ、「重症者」のみにします。
4月6日 読売新聞
「マスク着用社会」は非常にマズい…今すぐ外すべき、これだけの理由
<マスク着用がこのまま定着してしまったら、若者たちが担う未来の日本社会は一体どうなってしまうのか>
AFLO
本政府の新たな方針発表により、3月13日からついに正々堂々とマスクを着用せずに生活できる日々が戻ってきた。私は混み合った電車や病院など感染リスクの高い場所以外では、マスクをしないで過ごしている。 【動画】マスク着用を指示し旅客が激怒…顔面を全力で殴られるCA ところが、予想を上回る数の人々がマスク生活を続けている(13日の品川駅では約9割の人がマスクを着けていたという)。
感染リスクのある場所だけでなく、周りに誰もいない道路を一人で歩いている人までマスクをしている。花粉症のせいかとも思ったが、どうやらそれだけが理由ではない。日本で花粉症を持つ人は人口の約半分だし、花粉の飛ばない雨の日まで皆マスクをしているのだから。外国人の目には、日本だけがコロナ感染の真っ最中のように見えるだろう。
非常に奇異だ。一体どうしてまだマスクを着けているのか? 私は周囲の人々に、なぜまだマスクをしているのか聞いてみた。花粉症の人を除くと、「周囲の目が気になる」という人が大半だった。これは昨年12月の本コラムで周来友さんが書いていた、社会の同調圧力だろうか。確かにマスクをせずにいると、混んでいない店内や電車の中だけでなく、道を歩いていてもマスクを着けた人にすれ違いざまにチラッと見られることが度々ある。
だが多くの場合、それは私の気にしすぎなのだろう。大げさに避けられることもあるが、大抵はにらまれるわけでもなく、ほんのちょっとチラッと見られるだけなのだから。大体、あんな息苦しいものを周囲の目が気になるという理由だけで、真夏も着用して過ごせるとは到底思えない。春の花粉の時期が終わり、蒸し暑くなるにつれてマスクを外す人が増えていくのだろうと思う。
「周囲の目が気になる」という理由よりも私が怖いと思うのは、マスクを着用して生活するのに慣れてそれが普通だという人が世論調査でかなりいることだ。それを象徴するのが「マスクは顔のパンツ」──つまり外すことに強い抵抗があるという意味の言葉だ。 私が知る限り、マスクが顔のパンツだと言っているのは、世界でも日本だけである。主に女性の場合はマスクをすることでメークをしなくて済む、というところまでは私も理解できる。
だが、顔を隠せると安心できる、だからこのままマスク生活を続けたい、という人が多くいるのなら、それはちょっとゾッとする。 「マスクを外した顔を見たらがっかりした」などと軽い話題として取り上げられるが、多くの人たち、特に若者がコンプレックスを理由にマスクを外せず、顔を隠して暮らす社会は、平安時代の姫君ならいざしらず、現代では非常にマズい。
なぜなら、目立ちたくない、他の人たちと同じでいたい、自分の個性を消したい、群れに埋もれて生きたいという願望は、個人の権利と責任がうたわれ、多様性が叫ばれる現代社会の流れにどう考えても逆行しているからだ。 絶世の美男美女でない限り、いや美男美女であっても何かしらコンプレックスを持つものだ。そんな不完全な自分と社会との距離感を、時には傷つきながら学び、「個」を確立していく大事な時期が10代、20代である。
そんな時期にマスクを取らずに隠れるように生きることが当たり前になってしまったら、若者たちが担う未来の日本社会は一体どうなってしまうのだろう。 個人が弱い時代? 誰も面と向かって意見を言わない社会? それも匿名で発信できるヤフーニュースのコメントやツイッターが盛り上がる日本らしい未来ではあるが、それは果たして健全な社会と言えるのか。 安全と安心を第一に考える日本が、私は大好きだし住みやすいと思うが、安心安全の揺り籠から一歩も出ないのでは、この先の日本社会の行く先が心配だ。
石野シャハラン(異文化コミュニケーションアドバイザー)
※ 日本社会は集団の中で没個性が求められる社会なのではないかと思っています。自分の個性を消した結果、社会で起こっていることは人ごとであり、自分には関係ないとして無関心でいられるのではないかと思います。人と合わせていれば無駄な争いも必要がなくなり、楽にいられるのですが、その結果を被るのも自分です。確かにワクチン接種で死亡した人は人口のうちごくわずかです。わずかだから何もないと思って良いのかどうか。
かつてないレベルの超過死亡を前にして、日本国民から責任追及の声が上がるかどうか、もし何も動きが起こらなかったら、・・・それは自分達国民の責任です。