世界から笑われる日本のコロナ対策、どこで道を誤った? 病床1床の確保に2億円、高齢者に使われたお金と若者が払った犠牲
岸田文雄総理
命を守るためと称し、2年半余りで単年度予算に匹敵する100兆円以上をコロナ対策に投じてきた日本。それで命が救われ明るい未来が訪れるならいいが、監査すれば、潤っていたのは病院と専門家ばかり。残されたのは日本を大きく傾ける壮大なツケである。 【写真を見る】外国人から呆れられるマスク姿 ***
コロナ禍は日本のさらなる沈没の始まりになる。そんな確信に似た懸念がいま、主に国際的な視野をもつ識者の間に広がっている。 政府は今月11日から水際対策を大幅に緩和し、日本に入国する際、ワクチンを3回打っていれば、PCR検査の陰性証明が不要になった。また、外国人に対しては、入国者数の上限が撤廃され、個人旅行者の受け入れも再開し、短期滞在者のビザ取得が免除になる。
マスクについても、岸田文雄総理はすでに「屋外では不要」と繰り返しているが、屋内での着用緩和も検討されている。3年近くにおよんだコロナ禍が、ようやく収束に向かっていることは間違いない。
海外から呆れられる日本の閉鎖性
だが、手放しで喜べる状況では決してない。規制の数々が緩和されるのはいいが、欧米諸国や他のアジア太平洋諸国に比べ、遅すぎたのである。 先進諸国のほとんどが入国制限を撤廃し、屋内外を問わずマスクを外しているなか、日本だけは科学的根拠に欠ける対策を続けてきた。その結果、海外の投資家は日本をビジネスの対象から外し、日本に関心を抱いていた研究者や留学生の多くが、専門領域を変更した。
訪日した外国人は一様に、日本の閉鎖性に驚きの声を上げ、受け入れが始まった海外からの団体旅行者も、驚き呆れている。 ようやく鎖国を解こうというとき、日本は海外から強い不信感を抱かれている。岸田総理が国会でマスクをして演説すること自体、国民への着用推奨のメッセージになっており、いつまでも日本は、コロナ禍の足かせから自由になれない。
約100兆円の支出
過剰なコロナ対策による損失は計り知れないが、最大の問題は、それが莫大な金額を投じた結果であることだ。つまり、将来にわたる大きな損失を抱えるために、血税が湯水のように投じられてきたのである。 むろん、すべて無駄だったとは言わないが、費用対効果を考えると、これから検証するように疑問ははなはだ大きい。大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授で、内閣新型コロナウイルス感染症対策分科会委員・基本的対処方針分科会委員の大竹文雄氏が言う。
「この2年半、コロナ関連予算は単年度で30兆~40兆円で、さらに国会の議決が要らない予備費が、今年度だけで5兆円になります。コロナ対策に投じられたのは、すでに100兆円を超えていると思います。しかし、もっと効率的に使えた部分や、感染状況に合わせてコロナ対策をシフトチェンジしたら不要だった部分があると思います」
どこで道を誤ったのか
シフトチェンジが遅れたのはどこだろうか。 「例えば、今年の年初の第6波以降、まん延防止等重点措置にあまり効果がないとわかってきていたのに、飲食店にお金を出し続けました。すでにワクチン接種率が高く、感染防止及び重症化予防効果が上がっていた時期で、必ずしも飲食店で感染が拡大しているわけではなかった。それなのに相変わらずまん防を講じて、営業時間短縮への協力金を支出したのは、問題があったと思います」
飲食店への協力金や支援金は、地方公共団体から支払われたが、その原資は主に、国が交付する地方創生臨時交付金だった。その額はこの2年半で16兆3760億円に及ぶ。 東京都の場合、2020年度には、時短や休業に応じた事業者への感染拡大防止協力金に2684億円支出。ほかにも中小企業制度融資などに6674億円と、コロナ対策にともなう経済対策に9358億円が投じられ、地方創生臨時交付金をはじめとする交付金では賄えず、都の貯金にあたる財政調整基金を4721億円取り崩した。
こうして、約1兆円あった都の財政調整基金は、21年度末見込み額が21億円と枯渇寸前になったが、21年度は国から地方創生臨時交付金などが2.1兆円支給されたため、年度末の財政調整基金は7272億円まで回復した。都はかなり大盤振る舞いをしても、国が補填してくれたので、懐は傷まなかったのである。
不正が横行した理由
しかも、協力金や支援金の支払い方にも問題がある。元日本銀行政策委員会審議委員で、名古屋商科大学ビジネススクール教授の原田泰氏が指摘する。 「各事業者の前年の売り上げを見て、その何割までを補償するとすべきなのに、売り上げの多寡にかかわらず一律の金額を配った。だから不正も多くなりました。確定申告に基づいて申請書を作成してもらい、それをあとでチェックし、違っていたら返してもらう。
2~3割だけでもチェックすれば、かなりの不正抑止効果があったはずです」 都内のある飲食店主は、 「うちは2店あって、1店は客が少ないので不定期で営業していた。それでも休業すれば大店と同額がもらえるので、もちろん閉めて、ずいぶん儲かりました」 と言うが、そんな飲食店を支え続けた東京都を、国はじゃぶじゃぶとお金を注いで助けたのである。
倒産が減りすぎている
事業者を助けるための予算には、持続化給付金や雇用調整助成金もあった。前者は20年度に5.6兆円が投じられ、21年度は事業復活支援金と名を変え、2.8兆円が充てられた。しかし、大竹氏が語る。 「これら助成金のおかげで倒産件数は減少しましたが、減りすぎではないかと。長年8千件を超えていた日本の年間倒産件数は、20年に7773件。
そして21年は6030件と、バブル期と同水準になりましたが、さすがに過剰な減少ではなかったでしょうか。コロナ禍に見舞われずとも倒産した可能性が高い事業者まで、助ける必要があったか、ということです。必要以上に倒産を防ぎ、非効率な企業を延命させると、コロナ後に日本全体の生産性を上げるべきときに、マイナスの影響を与える可能性もあり、大きな問題点です」
20年に2.7兆円の予算が組まれたGoToキャンペーン事業も同様で、 「コロナと無関係に業績が悪化していた観光業者まで延命させることになっていたとすれば、過剰だった」 という声が政府関係者から上がる。関東学院大学経済学部の島澤諭教授が加えるには、 「規制が緩和されれば、みなGoToがなくても旅行や外食に行くので、あえてブーストをかける必要はなかった。必要のない予算を使って、そのツケを将来に回しただけです」
1床確保するのに2億円
GoToは、真偽はともかく、医療を圧迫する結果につながったとも指摘されるが、医療提供体制を拡充するためにかかった6.8兆円は、適切な金額だったのか。原田氏が言う。 「それだけ投じて確保できたのは3.9万床とは、費用に対して少なすぎ、1床に2億円近く投じたことになります。仮に報酬が医師は1日10万円、看護師は1万5千円として、3.9万床がフル稼働していたわけではなく、医師も看護師も1人で何床か見ることができる。
ですから1床につき1日あたり10万円程度、年間3千万円くらいでしょうか。でも、現実には6倍かかりました」 いったいなぜなのか。 「コロナ以外の患者が訪れなくなって、医療機関が赤字になるのを防ぐため、コロナ患者を受け入れていない病院にも、お金をたくさん配ったのです。結果、経営が支えられ、コロナ患者の受け入れを拒む中小の医療機関がたくさん出てきてしまった。
コロナに対応している医師や看護師だけにお金を配れば、経営が厳しくなった病院の医師や看護師を、コロナ対応に誘導できたでしょう。しかし、医療提供体制拡充予算が病院全体に配られたため、かえって医療体制を逼迫(ひっぱく)させるという、本末転倒な結果になったのです」
コロナで黒字になった病院
やはり日本医師会の責任が大きいのか。リスク管理が専門の東京大学名誉教授、唐木英明氏が言う。 「早い段階で5類感染症にしていれば、インフルエンザと同じで街の病院がコロナ患者を診られ、補助金は要らなかった。しかし、2類だとコロナ患者を受け入れる一部の病院が儲かります。日本は国家予算中の医療費が多すぎるので財務省が大鉈(なた)を振るい、医療には北風が吹いていたのですが、コロナで一気に南風が吹いて黒字になった病院が多い。
安倍さん、菅さん、岸田さんと3代の総理が“5類にする”と言いながらできない背景に、医療関係者の利権が絡んでいるのは間違いないと思います」
病床の数さえ増えれば
医療提供体制の拡充にかかった6.8兆円について、医療経済学が専門である一橋大学の高久玲音(たかくれお)准教授は、別の視点から批判する。 「即応病床(患者が発生したらすぐに受け入れられる病床)の確保に、補助金が支払われましたが、感染状況が縮小していても、即応病床を一定数確保し、お金を払っている都道府県が多かったのです。
本来、感染が落ち着いて患者が少ない時期は、病床を減らすのが自然なお金の使い方ですが、そういう運用がなされなかったのは、明らかな無駄だと思います。加えて、都道府県は感染状況のステージに応じて確保すべき病床の総数を決め、何床確保できているかというアピールが重要になっていた。実際に患者を受け入れられるかどうかより、病床の数を増やすことが目的になる不幸な状況が生まれていたと思います。
また、財務省の資料によると、感染者の治療に対する診療報酬の加算は1千億円しかありません。病床確保に使われたお金と比較し、バランスをとる必要があったと思います」 そして、こう加える。 「波のたびに効果を検証し、お金がもっと有効に使われるよう、制度を柔軟に変えるべきでしたが、ほとんど行われていません」
年度末の公共工事のような無駄が
しかも、医療体制の拡充費用だけでなく、コロナ関連予算全体が、なんら検証されることなく組まれ続けた。島澤教授が言う。 「5兆円もの予備費を毎年組む必要があったか。必要になった時点で予算を組み、審議するべきでなかったか。そうしないと昔の年度末の公共工事のように、無駄にお金を使ってしまう。現に、いま予備費が物価対策に流用されています。政府とはフリーハンドのお金を持つと使いたがるもの。
コロナ禍では緊急事態を隠れみのに浪費されましたが、コロナ対策の影響もあり、昨年の出生数は81万人で過去最少です。若い人が減り、借金だけは無限に膨れ上がっています。アプリのCOCOA(3.9億円)や布マスク(260億円)など、全体からみれば小さな金額でも、積み重なって予算総額がすごく増えました。予算はいったん拡大すると、縮小したときに景気にマイナスの影響を与えるので、減らしにくくなります」
リスクの専門家が政府にいなかった
政府がもう少しでも機動的に、費用対効果を勘案することはできなかったものか。大竹氏が言う。 「分科会及びその非公式勉強会で経済学者の構成員は“感染の中期的見通しを出すことが必要”と、申し上げてきましたが、感染症の専門家たちは出せないとのことでした。先のことが確実にはわからないのは事実ですが、長引けばどこまで続き、早ければこのぐらいで収束する、という選択肢が提示されれば、リスクはあるがこれを選ぶ、というコミュニケーションもとれたでしょう。
企業や政府は将来を見通して、現在の行動を決めるものなので、政府は将来の見通しを示して対策することが重要です。しかし、その発想が感染症の専門家にはなかなか伝わりませんでした。感染症の専門家から、政府が短期的視点での情報提供を受け、短期的な経済対策を積み上げた結果、長期的には非効率になった、という面があったと思います」 唐木氏が加える。 「リスクの専門家が政府の機関にほとんどいなかった。
欧米のように、リスクの専門家が感染症と経済それぞれの専門家を仲立ちし、リスクの最適化を考えて政治家に適切にアドバイスする体制を、日本も作る必要があります。“命の問題だ”と言われると、政治家はリスクを調整できなくなってしまう。政治家にとっては次の選挙で当選するかどうかが最大のリスクで、そのために感染症や経済のリスクをどう使うか、という発想をします。だから中立な行司役が必要なのです」
高齢者の余命1年のために使われたお金は…
だが、いまからでも膨大なコロナ予算の効果を検証すべきだ。国際政治学者の三浦瑠麗さんが言う。 「最大の問題は、日本がこれまでに投じた費用の効果を検証していないことです。たとえば新型コロナウイルス感染症対応に関する有識者会議でも、未来志向でどんな医療政策が必要になるかという点は論じられても、使われたお金のコストパフォーマンスについては、評価を下していません。
経済へのダメージと新型コロナによる人々へのダメージを、てんびんに載せて比較しないといけません。経済被害や自殺などを含め、コロナ対策によって失われたGDPと、その対策のおかげで救われた人命を算出し、平均余命も考慮すれば、余命1年あたりいくら使われたか、計算することは可能です」 計算しても、ある程度の仮定にはなるが、 「仮に京大の西浦博教授が発表した、行動制限をしなければ42万人が亡くなるという仮説を採用したとしても、高齢者の余命1年あたりに、史上まれに見るほどお金が注がれた、と指摘する経済学者もいます。脳梗塞など寿命を奪う疾患への対策に、同じだけのお金は使われていません」
若い世代が払った犠牲
史上まれに見る浪費によって、高齢者の余命を守る一方で、若い世代がどれだけ犠牲を払わされたか。大竹氏が述べる。 「大学もオンライン授業を続け、学生がチームワーク等を通じて社会性を育む点で、かなり影響を受けたと思います。社会人も出会いが減って婚姻数の減少につながり、その結果、さらに少子化を招くところも大きなコストでしょう。
それに外国はもう少し早く制限を解除したのに、日本はワクチン接種が進んでからも厳しい行動制限を続け、いまもマスクを着けたままです。顔も表情もわからず、コミュニケーションのレベルは下がると思います。子供がいまも小学校でマスクをし、給食が黙食なのも、教育に影響があるでしょう」
高齢者の幸福につながらず
しかし、高齢者を守るためのコロナ対策及び予算が、本当に高齢者を守ってくれたわけではない。老年医学専門の精神科医で、『80歳の壁』をはじめベストセラーを数多く上梓している和田秀樹氏が言う。 「コロナ対策は、中長期的にみれば高齢者の幸福につながっていません。高齢者の臨床を行っている私がみるに、ステイホームで要介護の高齢者がかなり増えます。
外出をしないために足腰が弱り、大腿骨骨折で入院すると、見舞いも制限されるので精神的にも弱ってしまう。コロナは怖いと騒ぎ、対策にお金を投じるほど高齢者の免疫機能は落ち、死亡者が増える。コロナ対策にお金を使うのではなく、高齢者を自由に歩かせるのが大事だったのです。お金は、たとえば学習や社会参加を支える費用、生きがいづくりや健康づくりなど、高齢者が自由に歩いて、学んだり交流したりできる環境整備に費やすべきでした。
そのほうがよほど、高齢者の命は守られました」 高齢者の命を守ると謳い、現実にはコロナ患者を診ない医療機関まで救って若者も高齢者も弱らせ、日本沈没に向かわせたコロナ対策。徹底検証し、諸外国にも目を向けながら日本の愚を矯正すべきだ。そうしないと、日本は本当に沈没する。 「週刊新潮」2022年10月20日号 掲載
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